リクルート メンバーズブログ  逆張りがキャリアを作った~Increments及川卓也氏が語る「プロダクトマネージャーという係」(上)

逆張りがキャリアを作った~Increments及川卓也氏が語る「プロダクトマネージャーという係」(上)

MicrosoftやGoogleのChrome開発マネージャー職などを経て現在Increments株式会社のプロダクトマネージャーを務める及川卓也氏。

及川氏は11月21日に開催されたリクルートテクノロジーズの社内カンファレンスのキーノートスピーチに登壇。「プロダクトマネージャーという係のこれまでとこれから」と題して、プロダクトマネージャーという職種や自身がキャリアを構築する上でのこだわり、「偶然」と「意思」の重要性について講演しました。

スピーチ前半では、日本ではまだ耳慣れない「プロダクトマネージャー」の役割について詳しく紹介。及川氏いわく、その礎となったのは「おもちゃへの『逆張り』だった」といいます。

プロダクトマネージャーという仕事

及川「『プロダクトマネージャー』と聞いて、どんな仕事か想像がつく人はあまりいないのではないでしょうか。ソフトウェアエンジニアは、非常に優秀な人がたくさんいます。でもものを作る、活用する時に、様々な人が開発業務に携わってきますよね。様々な形のプロダクトが生まれますし、事業そのものがリーンスタートアップではプロダクトになるということもあります。

プロダクトを出した後のマーケティングや、何からグロースハック的に行い、ユーザーにいかに価値を届け開発するのか――。そうした運営面も含め継続的に見ていく。

プロダクトマネージャーはミニCEOみたいなものです。CEOは会社そのものの責任を負い、足りなければ自ら手を動かし、人員を補充する。プロダクト単位でそれを行うということですね」

「プロダクトは、事業。そのプロダクトチームをまとめて成功に導くのがプロダクトマネージャーの仕事です。そもそもその職種はなんなの、というジョブディスクリプションについては、GitHubにも上げているので興味がある人は見てみて下さい。

いろんな組織からいろんな人が入っても、そこに必ず穴は存在するんですよ。誰かがやるはず、と思っていたら成功しない。経営者と同じように人員補充するか自力で補う。非常に光が当たると思われますが、実は誰もやりたがりません(笑)。成功のために自分が動くポジションなんです」

プロダクトマネージャーは「製品のライフサイクルを一貫して見る」

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及川「プロダクトマネージャーは何をいつなぜ作るか、何を作るかをしっかり定義します。

人々のニーズは新しい価値の提供か、課題の解決なのか。同じ目的の元にプロジェクトメンバーが集まっていると思っていても、実際に紙に書き出してみると、それぞれの思いが違っていたりするんです。これを明確に定義し、実現していくことが求められます。プロダクトライフサイクルを一貫して見る、ということです。

プロダクトマネージャーの重要性はまだ日本で認知されていません。なので自分がその職種で働くとともに、認知向上のために講演などもしています」

「おもちゃ」への逆張りがヒット

及川「私はこの業界30年です。新卒では、当時世界2位のコンピューターメーカーだったDECに入社しました。

この会社は第二次AIブームでも有名になったんです。ナレッジエンジニアという職種を用意していて、当時はバブルの時代だったこともあるのでしょうか、ナレッジエンジニア養成の研修は一人540万円もかかるものでした。新卒でAIに憧れて、ソフトウェア開発ばりばりやりたいぞ、と。

でも現実には、セールスサポート、グループウェアみたいなソフトの、営業サイドに配属になってしまったんですね」

「でもこれが、思いのほか自分に合っていたんです。プレゼンのやりかた、コミュニケーションの仕方を学ぶことができましたから。さらにそのうちに、お客さんのリクエストで自分でPCとの連携機能を開発しまして、ジャストシステムの一太郎やロータス1-2-3という表計算ソフトなどを動くようにして提案したら、あるクライアントにそのまま採用になりました。その後も、好評とのことで、横展開してパッケージ製品化することになりました。

当時DECはVAXというシングルアーキテクチャで統一されており、OSもVMSという大掛かりなもの。そこにパーソナルコンピュータを接続するというのは、専門家から見ればおもちゃみたいなものでした。でもIT業界のトレンドとして、『おもちゃといわれている技術が主流になる』というのがあります。私は、あえて逆張りでやってみたら当たった、ということです」

「その後は研究開発機関に異動して、言語処理体系の統一を担当しました。一つはJISキーボード。官公庁などにキーボードを納品していたのですが、それまではJISではなかったんですよ。これはさすがにないとまずい、ということで。半年くらいかかって作りました。キーボードの上のIMEや日本語英語混ざった時に区別するライブラリなど、すべてアーキとして定義しました。ここで大局的な製品設計を学べたと思います」

「その後は会社が傾いてしまい、マイクロソフト(MS)へ転職する人が多かったので自分もと辞表を出したら、『シアトルでWindows NT 3.1日本語版のAlpha移植プロジェクトを担当しろ』と言われてその場で辞表を撤回。シアトルへ向かいました。その後、MSに移りプログラムマネージャーになりました」

「当時、DECの優秀なメンバーの大多数がMSに転職していました。DECから移った連中が、今のMSの元を作ったと言っていいと思います。

1990年代はそんな優秀な連中が、MSで寝ずに働いていました。『俺達が作るソフトで世界は変わる』そんな勢いがありました。ちょうど今のGoogleのような感じで。会社のカルチャーは成長によって変わるんだなと思いますね」

ヘッドハンターの値付けで、自分の価値が分かる

及川「私は、年に一回ヘッドハンターに会うようにしているんですよ。基本、良くない人ばっかりなんだけど(笑)、面白い人とは会うようにしているんです。ヘッドハンターは紹介者が転職したらチャリンと(お金が)入ってくるけど、その一方でコネクションが大事なので、年に一回くらいは会ってくれるんですね。そこでここ一年の成果などを話すと、相手が値付けしてくれる。この時いま自分がやっている仕事の対価より、提示された給料の額が安かったら危機感を覚えるべきです」

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「ある時、懇意にしているヘッドハンターに『及川さんはいい仕事してるけど、転職しようとしてもMSのパートナー企業とかしかできないね。セールスやマーケティングに移るか、MSの技術以外のところの技術も知ってはどうですか』と言われたのです。

それはまずいな、と、キャリアの幅を広げることにしました。ちょうど平成15年頃、e-Japan戦略でIPv6と政府認証基盤(GPKI)などがトレンドの技術だったので、手を挙げてやってみるようになったんです。

『これからはWebの時代、Web進化論だ』と言われていましたが、MSでは社内にはポジションがなかったので、とりあえずGoogleに行きました。プロダクトマネージャーで検索エンジンなどを見た後に、Chromeのマネージャーになりました。

Windowsの開発経験はここで活きたと思います。あと、Googleであっても、プロダクトマネージャーとエンジニアリング両方経験した人は少ないんですよ。想像通り、ストレスもあったもののGoogleはとてもエキサイティングでした」

(後編へ続く)